キズナジャパン株式会社

<本社>〒102-0074 東京都千代田区九段南1−5−6りそな九段ビル5F

役員紹介

代表取締役 高崎 義一

取締役 柏原 才昭

取締役 高崎 将絋

クレド

常にお客様とのご縁を大切にし信頼の絆を築きます。

時間を無駄にせずお客様の時間を奪いません。

私たちのミッションは驚き喜び感動の提供です。

創業者 高崎義一の波乱万丈物語

私がキズナジャパンという会社をつくったのは、阪神大震災が起きた1995年です。それまでは、20歳から板前の道に入り30歳のときにモスバーガーのフランチャイズを兵庫県ではじめ西宮、芦屋、神戸市に3店舗を経営、飲食業で一生を終わるつもりでした。しかし、1995年の阪神大震災に襲われ3軒とも被災し窮地に陥ってしまいました。その年に設立したのがキズナジャパンです。この会社が誕生したきっかけは阪神大震災でモスバーガーが経営難に陥ったからです。

当社の事業は、モスバーガー伊丹店のオーナーをやっていたのは、元マクドナルドのPOSシステムの開発をやっていた松下電器の方で私が西宮だったということもありご近所なので仲良くなり私の知らない分野であるシステムのことを聞くことも多かったと思います。あるときタイムレコーダーの集計や給料計算をするのが大変でマクドナルドはどうやっているのかと聞くとみんな専用のソフトウェアを使っているよと教えてくれました。

自分たちもお金を出して買うから勤務シフトやタイムレコーダー、勤怠管理システムを作ってよとお願いし今から30年ぐらい前にDOS版で作ってもらったのでした。そのシステムを自分たちのお店で買って使っていました。震災で被災して収益が悪化し経営難になったときにそのオーナにお願いして、そのソフトウェアを同じモスバーガーのオーナーに販売する仕事をさせて頂きことになりました。

38歳のときで生まれて初めてネクタイを締めての営業でした。私が被災者ということもあり、みんなが買ってくれたのです。その時の感謝の気持ちと絆の大事さを痛感し会社名をキズナジャパンにしました。仲間のおかげで震災をきっかけにした最初の倒産の危機を脱することができました。

その後、Windowsパソコンが登場し、あっという間にDos版で作ったソフトウェアが使えなくなってしまいWindows版を作ることになったのでした。しかし、このWindows版のソフトウェアは、Windowsがバージョンアップする毎に障害が発生、その対応と改修に悩まされるようになり苦悩の連続でした。

それからADSLというインターネット回線が流行り始めパソコンにソフトウェアをインストールしなくてもネットワークに繋がったサーバーにソフトウェアをインストールすれば回線経由でそのソフトウェアが利用できるというASPも知り、これからはこれだと思い開発会社にASP版を作ってくれないかと相談したのですがコストや技術者、将来性という点で問題が多すぎると断られ、どうしても諦められず私は、開発できる会社を探しに上京やっとの思いで開発できる会社を見つけ開発を委託し完成を持っていました。

ちょうどその頃、新聞でJR東日本が電子マネーの交通カードを計画している記事を見つけ当時、会長だった松田さまへ手紙を書いたのです。いま、飲食店、小売業、サービス業では、銀行が夜間金庫をどんどん減らして行くために売り上げや釣り銭をお店の中で保管することになりその現金を狙った盗難事件が多発、内部犯行もあります。だから、JR東日本の交通決済電子マネーSuicaが普及すれば現金、つまりキャッシュが減らせので私たちの業界にとって救世主になるのですと書きました。

その後、秘書の方からJR東日本情報システムの社長を紹介して頂きお会いすることができ、お店のお金の管理状況を説明しSuicaの必要性を話しました。その時、先方の社長から具体的にどんなことがしたいのかと聞かれ私は、「タイムレコーダーで退勤した瞬間にSuicaに今日の給料をチャージし従業員にすぐ買い物ができるようにしてあげたい。」と説明、社長様からそれは、すごくおもしろいアイデアだ言って頂きさらにJR東日本さまからの出資までして頂くことになりました。

それから一緒にFelicaを使ったタイムレコーダーを開発しました日本初です。しかし、給与を即チャージするというのは、日本の法律で実現できませんでした。労働基準法の現金払い、直接払いの原則、それとプリペイドカード法の電子マネーにしたお金を現金にも出せないという2つがネックになり完成することができなかったのです。    

阪神大震災をきっかけに窮地に陥りそれからIT業界へ転身し順調にやって来たのですがまた、窮地に堕ちる事件が起こってしまいました。日本初のASP型勤怠管理システム「大夢」が完成したにも関わらず2001年9月11日のテロが起こり増資が全て中止になってしまったのです。

当然、資金繰りに行き詰まり2001年の12月末に社員全員を解雇し私だけ残るという事態になり、それから資金調達に走り回る毎日でサラ金からお金を借りて生活をするという地獄の日々を過ごすことになってしまいました。スーパーの半額の弁当を買ってレジにならび、この弁当は、定価ですよと言われたら払うお金がないどうしようという本当に惨めで情けない経験をしていました。

そんな窮地に陥っているときに「ソフト化大賞」を受賞することになったのです。日本で初めてのASP、現在のクラウド型人事、勤怠管理システムが実際に完成しているということが評価されたからでした。その後、SONYと沖電気にOEM提供しこの窮地を乗り切ることができたのです。

神様がこの苦しい体験を自ら経験することでお金に困っている人の気持ちを知り、私に悟りを開かせるきっかけをつくってくれたのではないかと思うようになりました。それからは、順調に業績も推移し少しづつお客様が増え連続黒字を続けています。 

ただ、2007年のリーマンショック後に起こったネットカフェ難民問題のとき、派遣切りにあった人たちが住む家をなくしネットカフェで生活をし日雇いや日払いの仕事で生活しているのを知り自分の苦境の時を思い出しました。その頃、月払いの会社で仕事をしている人たちに給与を前払いするという名目で年率換算するとサラ金の数倍の手数料をとる金融業者が現れているのを知り愕然としました。

働いたその日の給与を給与日まで会社に貸しているから労働債権といいます。会社の都合で後払いしているので前借りなんて呼ぶのがおかしいと私は思います。その日の給与、数千円を振込むのに600円くらいの手数料をお金に困っている人からとるのですからひどい話です。

どうしてもネットカフェ難民の人たちを救いたいという思いが強くなり働いた分の手取り額を本人が必要な時にいつでも自分の操作で振り込めるシステムを作る事にしました。ジャパンネット銀行と現在の楽天銀行に直結、費用を当社がほとんど負担したためにその年の決算で1億円ぐらいの赤字になってしまいました。赤字になった途端、銀行から貸し剥がしと執拗な催促責めに会い、また株主から責任追及と株の買い戻しを迫られ、またまた苦境に追い込まれました。

会社は、常に目先の利益を追求しなければならいのでしょうか?

社会のため、会社の将来のために必要だと思えば投資をしても良いのではないかというのが私の考えです。

この件を境に投資家やファンドからの出資に慎重になってしまうようになりました。その翌年から黒字に戻り、返済と株の買い戻しを数年間かけてやりました。

私は、ブルーカラー労働者に生き甲斐のある人生を送ってもらいたいと思っています。

嘘をつかない素直な心を持って頑張って成果をあげている人やお客様に褒められ感謝される人、そんな人が報われ公平な評価を受けることができるシステムを作りたいという思いで「大夢」という人事、勤怠、給与システムの開発をキズナジャパンで続けています。

会社沿革

1995. 06 阪神大震災をきっかけに神戸市中央区に会社設立(資本金9,163万円)
2000. 09 勤怠管理システム「大夢:Daim」ASPサービス開始
2001. 12 第14回ソフト化大賞受賞
2006. 09 前払・日払給与「My給」サービス開始
2011. 06 東日本大震災で被災した東北地方の企業へDaimの無償提供
2015. 01 創業20年、社内起業家支援開始
2015. 04 ドレミングプロジェクト始動